つい数時間前に、担当プロジェクトがふたつ決まった。ルアー屋さんの家と、住宅兼美容室。いま、忙しくなるまでのふっと空いた間の時間にいて、しかし製図試験が迫ってきているので悠長な気分にはなりづらい、という感じ。日記の間隔が空いている間にあれこれ出来事があり、一部では不信感が募ったりもしたのだが、また一部では京都ではたらくことが確定し、ただその数日後に東京在住の人とこの先暮らすことを決めたりもした。自分の名前で職能的な曖昧さを抱えたまま過ごしていくことをよしとしなかったので、この名前や制作や言葉を信用してくれる人にもっと的確に応えられる状態でありたいと思い、もう一度きちりとアトリエに埋まることにしたものの、時間と身体が一箇所に、しかもいままで馴染みのなかった街の一点に縛られていることへの不安と抵抗はある。茫漠とした時間があれば書けたかもしれない文章だったり、観に行ったり議論ができたかもしれない場だったり、手近なところに個人で生きている人も多いからこそ、なんとなく置き去りにされてしまうのではないかという恐れみたいなものがある。時間を早回しにするようにぎりぎりと回して全てに追いつこうとするか、いっそきちりとこの場に埋まって隠れていた方がいいのか。微かな抵抗としてきちんと調理をして食事を摂る。身体を末永く保つ。
2021年8月30日 午後3:40
夏休み最後の日のような数字。今日は目録用の(とはいっても、ざっくりした展示準備用の)いま事務所にある模型の写真をざくざく撮っていく。一応、小型の三脚を持ってきて、グレー背景をセッティングした。ある程度トーンが一定になると目視もしやすい。HdMのKabinett、Miller & Marantaの展示も然り、kgdvsやadvvtの持っている実物だけに寄らない建築の強度は、大きく豪華絢爛なものを建てづらくなってきた世界に対して、建築を弱めることのない希望だと思った。ぐりぐりと攻めていかないといけないなとも思った。24:00に眠って6:30におきて、暖かい茶を入れて30分動いて、というような感じで暮らすのがいいと思う。日常の変数を減らしながら、身体の運営を軸とする。修士制作のときに、実物ではないもので空間を語るおぼつかなさについて不安を持ったことは、もしかしたらすごく臆病な逃げだったのかもしれないと翻って思えるようになった。実物はなにより大事で、基本は1:1ばかりの世界にいたいが、ただひとつも建てなくても建築家を名乗るあつかましさを持ちたい。いまからすこし計画を立てて、撮れるところまで撮る。
2021年8月31日 午前10:54