エジプト・カイロの旧市街の喧騒、道中にたむろする人々、でたらめな日本語を発する客引き、1ドルそこらで叩き売られるスフィンクスの山、そういったもののさなかに、ふと用意された空白。この国は砂しかない場所と人しかいない場所の差が激しい。空がぴかぴかと反射してしまうくらいに水平で、いくら歩いてもどこにも辿り着けなそうな場所もあれば、邪魔をされずに数歩歩くことすら困難な、人や物でごった返す通りもある。およそ50m×60m。回廊型モスクの中庭だけは、どんなに混沌とした街の中でもなにもない場所として残されている。周囲をぐるりとまわる建築空間の厚みによって、外界と縁を切られた空白。
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美しい布で髪を隠した女性たちの間をかき分け、靴を脱いで雑然とした箱の中に押し込み、靴下の踵をもう一度ひっかけ、布を頭に巻き直して建物の中に入る。祈りの空間を挟んだ向こう側はもう一度外で、白い石の床がつやつやと光をはね返している。この空間は中庭と呼ぶべきものでありながら、屋根のない室内、あるいは床のある屋外と言ったところで、柱を背にして座り厳かに祈りを捧げるための屋内空間とはうってかわって、人々は裸足を石に滑らせながら走り回ったり、集まってはおしゃべりなどをしている。
青く切り取られたほとんど正方形の空は回廊の石材を薄っすらと染め上げる。砂と石の色ばかりの土地には、光の色の影響が如実に現れる。そうこうしている間に、いつのまにか月が出ている。回廊の一角に脚を投げ出し、座り込んで青い四角形を見上げる。
この中庭の月の動きはおそろしく速い。ものすごく遠いものに対してわれわれは、見えている物同士の位置関係で動きを感じることしかできない。地平線が近づくと不意に、太陽が沈む速度が速まるような気がすることを私たちは知っているが、この場所で中庭を作り出している回廊の上端部は、四周人工的な地平線なのだ。天体の地である空を一部分だけ切り取って見せることは、月に触らずに月の重要度を操作する技法だ。見えている空が小さくなると、空に占める月の大きさの比率が変わり、僅かにしか見えない月の動きが、大きな動きに見えるようになる。
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はるか遠くまで続くひらけた砂漠の上で、空と大地は平等であった。無限遠とも感じられる視線の先では、アイレベルにある地平線が視界を二分し、半分を空に、半分を大地にする。建物や商品、物で溢れる都市部にはこの静かな均衡関係はなく、空は気まぐれに隙間からのぞき、大地もまばらに人の足元にちらつくばかりである。分厚い回廊は、都市の喧騒から距離のある空間を切り出したばかりではない。切り出した空間の下面と上面をとじる役目を空と大地に担わせることで、世界の一部を、一望できる大きさの均衡として取り出したのである。