――― 古代ローマ時代の、もし明日、19世紀末の、1964年3月20日の、ケネディ政権の、1963年11月30日、1965年6月3日、2006年10月22日、1948年から1962年の間に、ローマ時代、1世紀、1963年8月14日、1980年1月17日、かつて、当時の、古代ローマ時代、1-2世紀、
ヤン・ヴォーの作品が関係する時間は、ベトナム戦争(1955年11月1日 – 1975年4月30日)の周囲を渦巻きながら、ときにそれよりも十世紀以上も前の時代へ、あるいは漠然とした過去や未来の一点へ、ぐっと伸び縮みする。伸び縮みする時間を抱えた作品群の中点々と配されているのは、クレイグ・マクナマラ所有のシエラ・オーチャード農場から切り出されたブラック・ウォールナット材による、オブジェ、木挽き台、根鉢、パネル、シシィ・テーブル、アメリカ国旗。( ブラック・ウォールナット材 ) ではなく、( 切り出されたブラック・ウォールナット材 )、この記載の仕方には、事後的かつ不可逆な時間が含まれている。
木材で作られたものは、おおよそすべて ( 切り出された ) ものであるはずだろう。作品はすべて ( 作られ、配置された ) ものであるわけだし。すでにある操作を受けている、という過去の使役は完成物にとって自明のものであることから、作品名と素材さえ列記されていれば、誰しもがそこに含まれる時間の経過と手順を理解できる。しかし、今回の展示における作品タイトル及び素材説明のなかでは、( 切り出された、送られた、使われた、作られた、売られていた、施された、プレゼントされた、刻まれた、撮られた、) と執拗なほどに、すでに行われた行為が明記されている。
起きてしまったことは戻らない。それはブラック・ウォールナットを切り出すような、素材と形にまつわる事実だけではなく、「Vo Rosasco Rasmussen」(2003) の額装された書類4点―――二対の結婚・離婚証明書―――が示すように、婚姻など観念の上で発生した事実でもまた同様である。( そもそもRosasco、Rasmussen両氏との結婚及び離婚ははじめから作品のための行動であったらしいのだが、理由はどうあれ、起きたことに変わりはない ) 。「Marble plaque」(2012) の大理石に見られる大量の人名の刻印も、すでに ( 処刑され、刻まれた ) ものである。これらは、そのままでは記憶から風化し事実であったのか揺らぎはじめる出来事を、具体的な物の変形によってこの世に定着させるという二段階の事実の手順だ。
起きてしまったことは戻らない。この展示は上記のように至るところで過去に起こった事実と紐付いており、またこの展示に限らず、展示物というものは既に配置されており、訪れる私たちがいかに多様な期待や予想や予備知識を持ち寄ろうとも、私たちはそのつながりを、制作者あるいは会場設計者 ( 今回の展示では、作家であるヤン・ヴォー ) のおおよそ想定した通りに再生することになる。通常、鑑賞者の身体は展示室のなかを、――人によってはハンドアウトを片手に―― 彷徨い、まだ見ていない作品をしらみつぶしに追っていく。観るために、あるいは観終わるために来ているのだから、そのときの知覚は通常よりも能動的で過敏だ。過敏な知覚の中で、既に観たものとまだ観ていないものの境界面が薄膜を移動させるように移り変わっていき、一度観たものが観ていないものに戻ることはない。
さて、その知覚の臨界面である薄膜は、私たちが足の歩みとともに静謐な展示室のなかでゆっくりと移動させていた薄膜は、進んだぶんだけ新しいものが見え、把握され、後ろを振り返ればかつて観たものがもう一度そこにあるのだと、生まれてこのかたずっと全幅の信頼を置かれていたものであった。それは展示室での慣習である以前に、この世界の慣習であった。しかしこの展示では、作家、ヤン・ヴォーによって仕掛けられたとても単純で巧妙な操作によって、その薄膜の移動がとつぜん停止させられ、私たちは一瞬の宙吊り状態におかれる。その操作はあまりに単純で、端的に述べてしまえば、展示室中ごろにとつぜん鏡が現れる、というだけのことにすぎないのだ。それは一見して鏡だとは気がつかないが鏡にすぎず、しかし鏡だと気がつくその瞬間までは、鑑賞者である私が見ようとしていた ( この先の展示空間 ) であった。鏡のなかの自分と目があった瞬間をありありと覚えている。( この先の展示空間 ) へ期待を込めて飛ばしていた目線が ( ここまでの展示空間 ) に反射してしかいなかったことに気付かされ、急停止した目。
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その鏡面は、作品番号22『無題』、大理石のマーキュリー・トルソ像を囲う15枚のフォイル・ミラーで作られた矩形のうちの二辺である。縦向き1畳ほどの両面鏡が4枚ずつ並んで木枠に支えられ、広い展示室のなかに鏡貼りの小部屋を作っている。鏡面はそれぞれ4辺を木枠に囲まれていることでエッジが視認できず、その上順路通りに向かう際には、手前にある別の小部屋の脇を通ることでアクセスする向きが限定され、それゆえに映る自分の姿を見ることなく、鏡面同士の合わさる矩形の角に向かって進んでいくこととなる。すると、木枠と木枠の間の空洞、まだ見ていない向こう側を見やりながら進んでいたはずの自分の身体が、角を通りすぎた瞬間とつぜんその鏡面に映し出され、そのとき初めて、木枠の向こうに抜けているはずの視線が思わぬ方向に反射していたことに気付かされるのだ。
向こう側に抜けているようにみえる、木枠に囲われた端部の見えない鏡。その造りはあまりにも単純なのだが、一連のシークエンスの中で中盤のその瞬間に至るまでに、観客にどこまでの情報を手渡すか、その理解と油断の設計が巧みである。
たとえばひとつめの部屋の、作品番号03『もし明日ヒマラヤ山脈に登るなら』、小綺麗に設えられたショーケースのなかのRolexを眺めたあとに裏側に回ると、壁の一部は未完のまま放置されていて、前面のショーケースそのままの形の無骨な木箱と照明の配線が後ろに飛び出している。あっけらかんと展示の設えの虚構を暴くような態度。続く展示室の伸びやかな広い空間の先に私たちが目にするものは、矩形に並んだ、先ほどと同様の木箱の裏側の連続である。展示の構成手法への素朴な納得と、表側に作られたショーケースを観なければ、という次の目標の設定によって、身体は油断する。
展示を構成する設えを平然と見せていく態度を、木枠があらわになった小部屋を連続で配置することで裏付けながら、ああ、この作家は、こういうスタイルなんだ、こうやって、DIYにも見えるような素朴な設えで、展示物を見せるための表側と裏側をわざとらしくも明確に分けて、つまりこの裏にも、この向こうに続いている木枠も、表は綺麗に美術品のために整えられているというわけで、と思った矢先の出来事だったのだ、鏡面に映る自身と目が合ったのは。
その上余計に悔しいことには、鏡はこの展示中盤でとうとつに登場したのではなく、作品番号02『無題』、甥のグスタフの写真と性的な言葉のカリグラフィを組み合わせレイアウトしたこの作品の中でも既にミラー・フォイルが用いられており、カメラマンの視線と映し出された甥の身体、過激な言葉、それらを追う鑑賞者である自分の視線、合わせ鏡になった背面側に映る先ほど見た甥の身体、その身体を観る別の鑑賞者の視線、鏡に映る私自身の目線、と、鑑賞の時間及び撮影から今に至る時間を含んだ視線を交錯させていたのだった。さらに言えば展覧会タイトルのリフレクト、この段階から映し出されたものに対するある種の特別視は承知の上であったというのに、ここに至る油断と理解の塩梅によって、あっけなく騙されてしまった。
ただ、起きてしまったことは戻らない。いかに巧妙にできていようと、一度気づいてしまった以上鏡は鏡としてのみ存在し続け、同じ道順を辿りもう一度体感しようとしても、最初の驚嘆は擬似的に再生されるにすぎない。何度も行ったり来たりして再生を試み、もう一度騙されたふりをし、しばらくはその状態を楽しんだが、それでも一番はじめの瞬間の、ただ純粋にその先を見ていると信じ込んでいた視線が予定外の方向にリフレクトされていた、と気づく愕然とした感覚には到底及ばないのだった。
空間体験とそのとき一度きりの驚きの相性、その面白さと限界、展示構成のシークエンスと建築空間のシークエンスの考え方の差異は、その再生可能回数にあるのではないだろうか、とぼんやりと思う。帰宅してしばらくしたのちに購入した過去の図録を開封すると、表紙に印字されているとばかり思っていた太い黒のゴシック体によるタイトルは包装ビニールへのプリントで、裂けて破れて崩れ落ちたので息が止まった。図録タイトルは『Take My Breath Away』、どこまでも食えない作家だと思う。くしゃくしゃになった包装ビニールは瞬間的な驚きを再生すらしてくれないが、たった一度きり、起きたそのときが始まりであり終わりである体験のために存在するものには、ただ頭が下がる。