美少女戦士セーラームーン第1期は、ごく普通のおっちょこちょいな少女・月野うさぎが、突然現れた三日月ハゲの猫・ルナによって、選ばれたセーラー戦士であることを宣言され、14歳の女の子としての日常を楽しみ恋に浮かれたりしながらも、日々正体のわからぬ妖魔との戦いを強いられ、”美少女戦士セーラームーン”として成長していくという物語である。
 平凡な主人公が急に使命を帯びる、という設定は漫画に典型的なものだが、敵の目論む悪事とそれに対応する彼女の正義感は、14歳の女の子であるという設定に根付いていて納得しやすい。1期の前半で明かされている敵役の目的は一貫して、人間のエナジーを吸い取ること(エナジーとはおそらく、単純にエネルギーのようなもので、作中では一貫して白っぽい靄で表され、これを吸い取られると人間は疲弊し、最悪の場合死に至るらしい)。そしてそのために彼らが働く悪事は、人々の欲望を利用して悪どいマーケティングを働きかけ、それに踊らされた”愚かな”人間たちのエナジーを頂いていくというものである。物語の舞台は、1話から順番に、宝石店のバーゲン、占いの館、ラブレターを読むラジオ番組、ダイエットジム、ペットショップ、ロマンチックな音楽、アイドルキャラバン、と、いかにもおませな小中学生が好みそうな乙女チックな舞台が続き、宝石が欲しい、痩せたい、アイドルになりたい、などと考えるたくさんの人々が、麻薬に浮かされたように妖魔に支配されていってしまう。そして各舞台で、突然戦士になるという使命に”不安タラタラ〜って感じ”であった月野うさぎは、「乙女の気持ちを踏みにじるなんて許せないわ〜!」という素直な使命感をもって、戦闘に慣れていく。
 続く8話、9話では、全国1位の頭脳を持つ水野亜美(セーラーマーキュリー)の登場の影響もあり、学習塾、時計屋、という現代の社会問題のような舞台が続き(悪役の台詞にも「勉強に追われる人間ども…」「時間に追われる人間ども…」などが確認できる)、10話でも、神社の娘である火野レイ(セーラーマーズ)の登場により、彼女の暮らす神社の前から発車するバスが戦いの舞台となる。そのため8-10話では一旦少しだけ雰囲気が変わるが、11話からは再び、遊園地である夢ランド、恋人が集う豪華客船の旅、テニスが上手な憧れの先輩がプレイするコート…などと乙女チックなモチーフに戻っていく。そして後半に向けて、日常のなかに敵が侵入してくる回を繰り返しながら、怪力の転校生・木野まこと(セーラージュピター)、そしてセーラーVとしてすでに名を馳せていた愛野美奈子(セーラーヴィーナス)を迎え、敵のアジトに乗り込む最終回へと進んでいく。
 今回は、前半の日常の中に不意に現れる戦闘シーンへと注目し、その構造を考えていきたい。
 各物語の見せ場は、美少女戦士それぞれの変身シーン、そして、技の決めシーンだと言える。戦闘それ自体のアクションや、窮地に追い込まれた時の作戦や友情の有り様も一応描かれてはいるのだが、少年漫画の戦闘シーンとは大きく異なり、女の子たちが華麗に変身し、アイドルのような決めポーズをしていくことの方に明らかに重きが置かれている。それぞれのキャラクターが「〇〇(それぞれの属性名が入る)パワー・メイクアップ!」と叫ぶと、全身がホログラムのように輝き、制服よりも華やかなセーラー服、そして靴やティアラなど、様々な装飾品が可愛らしいポージングと共に身体に付け足されていく。この変身シーンは、24分強という短いアニメの尺の中で、セーラームーン41秒間、他のセーラー戦士たちも一様に20秒以上の時間があり、何人が連続で変身しようと、決して省略されることはない。(もっと言えば、省略されるどころか7話からセーラームーンの変身シーンにマニキュアが塗られるモーションが追加され、延長傾向にある。)それらに加えて、彼女たちの持つ各必殺技のシーンもある。彼女たちが戦闘で用いるのは、主にルナに与えられたアイテムで繰り出すそれぞれの名前にあったお決まりの必殺技で、各技も必ず、変身シーンと同じように、決めゼリフ、決めポーズのシーンを持っている。これにより、物語後半に大抵位置する戦闘シーンは、そのほとんどが、寸分の狂いもなく毎回繰り返されるお約束のシーンで作られているということになる。
 さらに、戦闘の流れにもお決まりのパターンがある。基本の型は、①妖魔に操られた人々にルナが気づき、②セーラー戦士と共に変身・突撃、③敵の攻撃に逃げ惑い、「やめて〜」「こっわ〜い」と窮地に陥ったところで、④敵の足元の地面に薔薇が一本突き刺さり、⑤謎の男であるところのタキシード仮面が登場、⑥戦闘の局面は小休止し、⑦彼は一言応援を述べて立ち去る。そののち、⑧ルナの一言二言の助言と共に、⑨セーラー戦士たちは必殺技を繰り出し、⑩敵は倒れて砂となり消える、という流れである。よって戦闘シーンは、アンパンマンが毎回アンパンチを繰り出し、バイキンマンがはひふへほ〜と消えていくように単調であり、セーラームーン本人もこのお約束性に対し、5話で「こういうときにタキシード仮面が助けに来てくれるのよね!」→「あれ〜〜!来ないじゃない〜〜!」という分かりやすい言及を見せている。

 長い決めシーンとお約束の流れによって単調になりがちな戦闘シーンにバリエーションを持たせるための変数としては、まず、性質の異なる妖魔の戦い方が挙げられる。しかし、少年漫画のように戦闘のディテールが豊かではないため、超音波を使う、石にする、夢を見させる、など敵の能力のささいな違いが効果的だとは言い難い。もう一つには、セーラー戦士のメンバーが、回を重ねるごとに増えていくことが挙げられる。ただ、セーラー戦士が増えるほど、お決まりの変身・技のシーンは長くなるため、これは翻って単調さを増してしまうことにも繋がっている。そうすると寧ろ、ルナやセーラー戦士、タキシード仮面などの戦闘における主要メンバーが減る場合、つまり、なんらかの事情で登場しているメンバー全員が戦えない場合、というのが、戦いに豊かなバリエーションを与えていることに気づく。そして、その「主要メンバーの戦闘からの締め出し」を行っているのは、キャラクターの事情というよりも、戦闘の舞台の空間的制約であることが多い。
 前段で書いたように、敵である妖魔が利用するのは人々の消費者的な欲望であるために、戦いの舞台は、街中にある具体的な店舗や施設などと密接に結びついている。つまり、ゴジラのように街中であったり、ドラゴンボール、HUNTER×HUNTERなどの少年漫画のように、旅をする主人公一行の道中ではありえなく、ほぼすべての戦闘シーンが室内、および室内に準ずる施設の中、に限定されていることは、大きな特徴であると言える。つまり、彼女たちの戦闘シーンには、世界の分かれ目とも言える、明確なエッジが存在することが多い。
 世界の分かれ目的な表現は、戦闘以前の日常パートにも度々見ることができ、そのうち印象的なものは自動ドアの表現である。物語に出てくる建物は、自動ドアを持つものが不自然なほどに多い。例えば、2話の7:30からの、うさぎが淡い恋心を寄せる相手である元基お兄さんが働くゲームセンター「クラウン」のシーンでは、自動ドアは紫がかった色として描かれているが、初めにうさぎがドアごしに元基おにいさんの出勤を確認していることから、視線が抜けるものであることがわかる。しかし、ゲームセンター内でうさぎと元基おにいさんがしばしいい雰囲気の会話をした後に、ルナに邪魔され渋々帰る場面では、ドアが閉じた瞬間別世界のように、「邪魔しないでよ〜」と喧嘩を始める。また、25話では、木野まことが気になり追いかけていたゲーマーの青年が、ついてくるな、一人で珈琲が飲みたいんだと冷たく言い放つシーンで、二人の間で自動ドアが閉まるさまが印象強く描かれている。
 このように、物語全般を通して世界の切断を示す自動ドアの表現が目立つのだが、それ以上に興味深いのは、”自動ドアつきの建物”は回を重ねても登場し続けてはいるというのに、戦闘シーンの舞台としては、不意に姿を消すということである。その明確なターニングポイントとして現れるのは、9話、戦闘シーンで常にうさぎのそばを離れなかったルナが、初めて戦闘の場に入りそびれるという場面である。9話以前の戦闘シーンは、宝石店、占いの館、ラジオ局、ダイエットジム、ペットショップ、学習塾など、8話中6話が自動ドアを持つ建物の中で行われている。そして、9話でも、もともと悪事が働かれていたのは自動ドアつきの時計店だったのだが、戦闘シーンでは、閉店中のシャッターが下りた状態の時計店として描かれる。完全に閉じた建物に対し、セーラームーンがティアラを投げる必殺技「ムーン・ティアラ・アクション」によって数秒間だけ風穴を開け、彼女とセーラーマーキュリーだけが、素早くそのシャッターの穴にはいることができる。ここで、出遅れたルナは閉じかけた穴に飛び込もうとしてシャッターに頭をぶつけ、戦いが終わるまで外で待つことになる。戦闘の舞台が、誰しもが自在に出入りできる自動ドアつきの空間から、シャッターにより堅牢に閉じられた空間に変わることによって、ここで初めて描かれたのは、ルナの助言なしの戦闘であり、一つ前の話から登場した新しいキャラクター、亜美(マーキュリー)とのチームワークの醸成である。
 そして、「主要メンバーの戦闘からの締め出し」が初めて行われたこの回から、登場キャラクターを減らすことによる戦闘のバリエーション制作は顕著になっていき、それに伴って戦闘シーンの空間的気密性も増していく。例えば次話である10話では、ブラックホールのような時空の隙間から異空間に向かうバスが戦闘の舞台であり、戦闘の舞台はバスと異世界という二重の機密性を持つ。そして、ここでは亜美がバスに乗り遅れることで一人闘いが終わるのを待つことになり、彼女の存在が、他のメンバーが元の世界に戻るための鍵となる。さらに11話でも、遊園地の中に位置する、締め切ってショーを開催している最中のお菓子の館が戦闘の舞台となり、堅牢なドアの表現だけではなく、ショーの最中、という誰もがイメージしやすい立ち入り禁止状態が強い気密性を生む。続く12話13話は、物語の敵役ジェダイトが親玉クイン・ベリルに処分されるという重要局面を迎えるために、戦闘の舞台も日常を離れ少し大きなものとなるが、豪華客船、そして空港といったこれらは、明らかに隔離されたものである。特に空港は、空間としては屋外であるが、入るのにかなりの手続きを要する、本来気密性のとても高いプログラムであることは間違いない。
 これらの考察から、美少女戦士セーラームーンにおける少女漫画的なお約束まみれの戦闘シーンは、主に商業空間をベースとした悪事であるという特性を活かして、戦いの舞台の気密性を増し、その空間的制約で参加メンバーを絞り込むことによってバリエーションを作り出していると言える。
 さらに、ただただ密室に近づくだけでなく、物語の状況に即した効果的な局面でも、戦闘シーンのエッジに注目していくことができる。
 例えば、25話でまことを置き去りにした青年が帰った自動ドアつきの喫茶店には、そののちに妖魔が侵入し暴れ始めた。ここで、自動ドアつきの建物が再び戦闘の舞台になったわけなのだが、妖魔は手短に暴れるとすぐに、窓ガラスを割って外へといなくなっていく。つまり、自動ドアつきの安易に出入りできる空間は、その出入りの安易さゆえに、ここでは通過的な戦闘の場となり、回のクライマックスの戦闘には用いられなかった。
 また、緩やかな気密性として印象的なのは、14話において月野うさぎが単独で、テニスの名手であり、親友の姉のような存在である西園寺瑠依を妖魔の手から救おうとする回である。この回では、すでに水野亜美、火野レイが登場済であるが、うさぎの「一人でもできるということを示し、自分の株を上げたい」という気持ちにより、他のキャラクターには戦闘の可能性について伝えずに、単独行動を行っている。ここでは珍しく、キャラクター同士の関係が「主要メンバーの戦闘からの締め出し」の原因になっている。ただ、ここで注目したいのは、締め出しがハード面ではなくソフト面の制約から行われたということではなく、戦闘シーンがなんとかうさぎ一人で(タキシード仮面の助けを借りながら)解決したあとの、駆け寄る他メンバーとの境界線である。戦闘が終わったのちに、ピンチをかぎ付けたセーラーマーキュリー、セーラーマーズ、ルナが舞台であったテニスコートに駆けつけて事の顛末を見るシーンがあるのだが、彼女ら3人の姿は一貫して、テニスコートの背の高いフェンス越しの存在として描かれる。視線は完全に通るものでありながら、彼女らの身長をゆうに超えるフェンスがあることによって、うさぎの単独戦闘シーンは、彼女らから気づかれないほどに気密性の高いものではない(=自分が一人でも戦えると知ってほしい)ことと、かといって簡単に助けに入れるようなものでもなく、周って入り口を確認しないと、戦闘の舞台であるテニスコート内には入れない(=きちんと単独で戦っているということのシビアさ)ことを同時に表現していると言える。よって、ここでのフェンスの表現は、単にテニスコートの光景描写をしたということ以上に、感情描写だったのではないかと考えられる。
 今まで見てきたように、建物や敷地内のエッジ、境界線のあり方は、アニメーションのお約束構造に対して大事な変数を担ってきたと言える。アニメ世界内でありながら、キャラクターの振る舞いがリアリティを追求していくものだとするならば、重力に沿って落ち、高い壁は越えられず、崩れてくるものに怯え、風になびかなければならない。美少女戦士セーラームーンは、空間的制約とそれに伴う感情の動き、このリアルさの追求とアニメ的な軽やかな運動のバランスが、とても興味深い状態にある。

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